かなり感情を切り捨てる能力の高い人以外、読まないほうがいいと思う。
こういう文章を公表する事自体どうかと思うんだけど、許して。
丁度5年目の日、私は救急救命部で実習をしていた。
心肺停止状態の患者が来るから、人工呼吸と心臓マッサージの準備をしとけって言われた。
運ばれてきた患者さんは私より若い真面目そうな風貌の男性で、鬱血のみえる首に一筋紐のような跡が見えた。
救える可能性はかなり低かった。
必死で心臓マッサージをした。
私が最初にふれた時、患者の体は暖かかった。
心臓マッサージは交代でやっても息が切れて腕が震えるくらい体力を使う。
交代で休んでいる途中、力余って誰かが肋骨を折る音が聞こえた。
私の番、また胸を押した。
体は紫のような黒のような色になり、押す度に口から血が吹き出るようになった。
リーダーが「押せば押すほど出血させるだけやな」と言った。
マッサージ終了の指示ではなかったから、順番が終わるまで全力で押し続けた。
心拍は戻らなかった。
職員は明るくはないが冷静な表情で、死亡診断書を書いたり、可能な限り外見を整えて遺族を患者の元に案内していた。
「あそこまでしなくても、きれいに死なせてあげればいいのに」と呟いた学生がいた。
突然耳鳴りが響いた。自分はこの言葉を許せないと思っているのだ、と感じた。
それまで、ここでどんな行動をとるのが正しいとも、何も考えていなかった。考える必要も権利もないと思っていた。
少なくともこの場での医師・医学生の仕事は、この人の命を救う最大限の努力以外に無いと思っていた。
だから、自分の耳鳴りに気づいてはじめて、「何が何でもこの人に生きて貰いたい」と思っていた自分に気がついた。
意識のあるうちに言葉を交わしたことも無い人だけど、生きてほしいと思っていた。
あの人のこと、「これで彼は楽になったんだ」と思うことにしていた。
その方が気持ちの整理をつけやすかった。
今は、自分が「あの人に生きててほしかった」と思ってる事を認められるようになった。
この変化は、時間が傷が癒やすことなのか、あの人のことが風化する過程なのか。